仙台高等裁判所秋田支部 昭和28年(ナ)5号 判決
原告 秋元久吉 外三名
被告 青森県選挙管理委員会
一、主 文
被告が青森県北津軽郡五所川原町議会議員の当選の効力に関し昭和二十六年九月十九日附を以て為した「昭和二十六年五月二十三日青森県北津軽郡五所川原町選挙管理委員会が訴願人より提起された同町議会議員一般選挙の当選の効力に関する異議申立に対して為した決定はこれを取消す。同選挙における各当選人中秋元久吉、千葉清隆、鶴谷正志、山川彌太以上四名の当選を無効とする」との裁決を取消す。原告等その余の請求を棄却する。
訴訟費用は原告等及被告の各自の負担各自弁とする。
二、事 実
原告等訴訟代理人は主文第一項及原告等四名は当選者であることを確認するとの判決及訴訟費用は全部被告の負担とするとの判決を求め、その請求の原因として陳述した事実の要旨は、原告等四名は昭和二十六年四月二十三日執行の青森県北津軽郡五所川原町議会議員選挙において、いずれも立候補の上、当選したが訴外佐々木清治外三名は同年五月五日及同月九日、同選挙の効力について異議申立を為し、同町選挙管理委員会は同月二十三日右異議につき棄却の決定を為したところ、右異議申立人等は同年六月十一日更に被告に対し訴願を提起し、被告は同年九月十九日請求の趣旨第一項記載の如き裁決を為し、同裁決は同日告示された。右裁決の理由とするところは選挙人中の田中トモ、千葉留次郎、小野エツ、小野正雄、同洋子、坂本義一、同とみ子、成田治右エ門、同みよ、島谷清八郎、同ミツ、小山内善之助、同みね、同善太郎、宮本ユキ、成田静子、斎藤啓子、松本秀夫、須藤けい、小寺喜美恵、西村チナ、成田積、同りつ、宮本儀平、野呂美津江の二十五名は選挙人たる資格がない者で、同人等の為した投票はいずれも潜在無効投票であるから、該選挙における当選人の得票から潜在無効投票数二十五票を控除して次点者の得票に比較すると、右選挙における首位落選者和田新の得票数百三十八票より少くなるものはその得票数百五十九票の原告秋元久吉、百四十九票の原告千葉清隆、百四十七票の原告鶴谷正志、百四十三票の原告山川彌太の四名であつて、選挙の結果に異動を生ずる虞れある場合に該当するから、その影響を受ける者即ち右選挙における第二十三位以下の当選人原告秋元、千葉、鶴谷、山川の四名はその当選人たる地位を保持することができないといわなければならないというのである。
しかし、右二十五票は次の理由によつて無効投票ではない。即ち
(一) 田中トモは北津軽郡松島村葛西義衛と事実上の婚姻をしたが、婚姻届をしたのは昭和二十六年七月三十日で本件選挙当時物資配給関係の転出手続もしていない状態であつたから、本件選挙当時同人の生活の本拠は、その本籍地たる五所川原町にあつたものというべきである。
(二) 千葉留次郎は同年七月十六日北津軽郡中川村千葉キヌと婚姻し妻の氏を称する旨の届出をしたものであつて、本件選挙当時物資配給関係の転出届もしていなかつた状態から、本件選挙当時同人の生活の本拠は本籍地五所川原町にあつたものといわざるを得ない。
(三) 小野正雄、同洋子、坂本義一、同とみ子、成田治右衛門、同みよ、島谷清八郎、同ミツの居住する一廓は一般に五所川原町字中平井町と称せられ、県道を隔てて五所川原町字中平井町に相対し、居住者はいずれも五所川原町に居住する意思を以て納税し、配給は勿論水道による給水も五所川原町においてこれを受けその子女を同町小学校に通学せしめている実状で生活一切が同所に依存している。関係町村当局もこれを怪しまぬ実状であつた。ただ本件異議申立において指摘され調査を進めた結果初めて、右の地域が中川村に属するものであることがその居住者にも判つたという次第である。元来選挙法が地方自治の本旨に鑑み地縁関係を重ずる趣旨から地方選挙において特に住所要件を必要としたという立法の主旨から考えると、右のような事情の如きは少くとも准住所と擬制されてもよいものではなかろうか。
(四) 小山内善之助、同みね(善之助妻)、同善太郎(善之助長男)について。
原裁決は「西津軽郡柏村字下古川の区域内に住所を有していたものであつて、右選挙当日選挙権がないにも拘らず投票したことは違法である。」と認定したが、善之助夫婦は青森県農村工場利用農業協同組合連合会五所川原工場(五所川原町字寺町所在)に雇われ、サンソ液製造期間である毎年十二月から翌年五月頃迄の凡そ半年間柏村字下古川所在のその分工場に起臥していたに過ぎず、他の半年間は五所川原工場に附置された住宅に起居し一年間を通じ一切の物資の配給を五所川原町で受け同町で納税し、子女を同町の学校に通学させ、右五所川原工場から受ける給料を以て生活の全部を賄つていたものであるから、同人等の生活の本拠は五所川原町にあるというべきである。又同人等の子善太郎は五所川原津軽油脂工業株式会社に勤務している者であるが、薄給の身で生活費の一半を両親に仰いでいる関係から右両親と同居を余儀なくされているものである。
(五) 宮本ユキについては原裁決は「昭和二十六年四月十三日以来北津軽郡中里村字深郷田に転住、選挙当日は五所川原町において選挙権を有しない」と認定したが、同人は四月十三日附発令で西北病院看護婦を退職したが、同病院で看護婦が手不足であつたため同年四月末頃迄引き続き同病院に起居し仕事を手伝つていたものであつて、本件選挙当時同人の住所はまだ五所川原町から他に移つていない。
(六) 成田静子につき原裁決は「昭和二十六年四月十日西津軽郡木造町字田町田附誠一と婚姻し以後同町に転任し選挙当時五所川原町において選挙権を有していない」と認定したが、同人は右婚姻前後を通じ五所川原町公民館事務員を勤め婚姻の届出も物資配給関係の転出手続も了していない。同人は本件選挙当時には五所川原町に住所を有したものである。
(七) 斎藤啓子につき原裁決は「同年四月六日同郡小阿彌村大字狐森成田清三郎方に嫁し同村に居住、選挙当日五所川原町においては選挙権を有しない」と認定したが、同人は嫁入後間もなく離婚の意思を決定し一旦五所川原町の親戚に立戻り、本件選挙当時は実家に居住していたもので五所川原町において選挙権を有していたものである。
(八) 松本秀夫につき原裁決は「昭和二十五年十二月二十日同郡松島村大字一野坪字孫石小野善兵衛方に借子として雇われ同所に居住、選挙当日五所川原町においては選挙権を有しない」と認定したが同人の雇傭関係は一概に借子と決定されないのであつて、却て一時出稼とも見られる点があり、生活の本拠は五所川原町にあると信ずる。
(九) 須藤けいにつき原裁決は「昭和二十五年十月十三日青森市北金沢永田某と婚姻したが、昭和二十六年三月離婚して五所川原町の実家に帰宅したもので、その住所が中断しているため選挙権を有しない」と認定したけれども、同人が事実上実家に復帰したのは昭和二十六年一月初旬であつて、同年三月でないばかりでなく、三ケ月の住所要件は選挙人名簿の登録要件であつて登録以後の要件でないことを注意すべきである。
(一〇) 小寺喜美恵につき原裁決は「昭和二十六年四月三日南津軽郡碇ケ関村小寺忠之助方に転住、選挙当日五所川原町においては選挙権を有しない」と認定したが同人は約二年前から五所川原町字本町敦賀理髪店に理髪職人として雇われ、昭和二十六年四月一杯の給料を受け、同月末を以て敦賀方の住所を転じたものである。同年四月初頃碇ケ関に行つたというのは同人の縁談を取り持つてくれる叔父小寺忠之助方に見合のために立帰つたもので住所を移転したものではない。
(一一) 西村チナにつき原裁決は「昭和二十五年十二月下旬同郡喜良市村阿部佐之助方に転住、選挙当日五所川原町においては選挙権を有しない」と認定したが、これは転住ではなく、チナがその生家阿部佐之助方に一時身を寄せ五所川原町に新築計画を立てた家が仕上るのを待つて居たものであるから、住所は依然五所川原町にあつたのであつて原裁決の認定は誤つている。
(一二) 成田積、同りつ(積の妻)両名につき原裁決は「昭和二十五年十月三日西津軽郡川除村に転住、選挙当日五所川原においては選挙権を有しない」と認定したが、右両名は五所川原町に本籍を有し本籍を生活の本拠として自動車運転手を稼ぎ転々居所を転じて居るものであつて川除村に転住したものではない。
(一三) 宮本義平につき原裁決は「昭和二十六年三月十六日弘前市大字西茂森町五五に転住、選挙当日五所川原町においては選挙権を有しない」と認定したが、同人は五所川原町旭町二六の実兄宮本禎三方の鉄工業に従事していたものであるが、昭和二十六年三月中頃就職口を探す目的を以て弘前市に出て知人方に一時下宿していたもので本件選挙当時未だ右実兄方の就業が断たれていないものであるから、住所は依然五所川原町にあつたものである。
(一四) 野呂美津江につき原裁決は「昭和二十五年九月八日青森市大字古川字千刈工藤初太郎方に女中として雇われ現に同所に居住、選挙当日五所川原町においては選挙権を有しない」と認定したが、同人は一般女中と異り当初家事手伝のため一時青森市に赴いたがその後随時小使銭を貰いに来たり衣類を取りに来るという具合で未だ女中として落付いたものではなく、生活の本拠は依然五所川原町の生家にあつたものである。
右の如く二十五票は無効投票ではない。仮りに二十五票の無効投票があつたとしてもこれを得票者全員から控除せず、当選者のみから控除し、一部の当選者から控除した結果を次点者に比較しその下位に下るからというて、その当選を無効とすることは条理に反し違法であるばかりでなく昭和二十七年法律第三百七号公職選挙法の一部を改正する法律により同法第二百九条の二の規定が新に設けられ潜在無効投票の処理方法について「各候補者の有効投票の計算については、その開票区ごとに、各候補者の得票数から当該無効投票数を各候補者の得票数に応じて按分した数をそれぞれ差引くものとする」と定められた。
そして本件の選挙における有効投票とされたものは六、三三二票で公職選挙法第九十五条所定の当選のための法定得票数は六〇、八票であり開票区は一ケ所であるが、原告秋元の得票は一五九票、原告千葉清隆は一四九票、原告鶴谷正志は一四七票、原告山川彌太は一四三票で首位落選者和田新は一三八票である。従つて右改正規定の趣旨によつて前記有効投票中に潜在無効投票二五票があつたとしてこれを各候補者の得票数に応じ按分して得た数は原告秋元久吉は一五八、三七二票余、同千葉清隆は一四八、四一一票余、鶴谷正志は一四六、四一九票余、同山川彌太は一四二、四三五票余、首位落選者和田新は一三七票であり、原告等の各得票数は当選のための法定得票以上だから選挙の結果に何等影響がなく、原告等の当選を無効となした裁決は違法である。因てその裁決を取消し且原告等四名が当選者であることを確認するとの判決を求める為本訴に及んだものと陳述した(立証省略)。
被告指定代理人は原告等の請求を棄却する。訴訟費用は全部原告等の負担とするとの判決を求め、原告等訴訟代理人の主張事実中本件の選挙について田中トモ外二十四名の投票二十五票は無効投票ではないとの点を除きその余の事実は全部これを争わない。右二十五票中、
(一) 田中トモは昭和二十五年三月二日北津軽郡松島村葛西義衛と事実上の婚姻を為し同年二十六年六月三十日その届出(該届出書の婚姻の年月日欄には昭和二十五年三月二日と記載されている)をしたのであるが、右事実婚当時から夫の許に居住していたものである。
(二) 千葉留次郎は同二十五年二月二十三日原告等主張の千葉キヌと事実上の婚姻を為し(同二十六年七月十六日その届出を了した)爾来妻の許に居住して五所川原町には居住しないものである。
(三) 小野正雄、同洋子、坂本義一、同とみ子、成田治右衛門、同みよ、島谷清八郎、同ミツ以上八名はいずれも五所川原町内の旧住所から原告等主張の中川村区域内に情を知りつつ転じたものである。同人等が中川村において村民税を賦課されなかつたのは、その賦課期日後に転住したためであり、同人等が五所川原町営水道による給水を受けているのは同町水道使用条例により中川村の区域内にも給水することになつているためであり、同人等の子女が五所川原町の小学校に通学しているのは両町村の入学児童委託協定及慣例により入学を許されているためである。以上のことがあるからというて同人等の住所が五所川原町にあるということはできない。
(四) 小山内善之助、同みね、小山内善太郎は五所川原町大字元町に居たが、同所から立退かねばならなかつたので、善之助及び同みねは原告等主張の組合連合会五所川原工場長新岡彌作に依頼して昭和二十四年中原告等主張の柏村大字下古川に在る同組合連合会の酸素液製造工場に転住し爾来同工場の留守番をして来たものであるが、同人等の長男小山内善太郎も右両親と同居し、五所川原町の津軽油脂工場に通勤している者である。同人等の住所は五所川原町にはない。
(五) 宮本ユキは五所川原町西北病院に勤務していた者であるが、昭和二十六年四月十日同病院を退職し同年四月十三日以来北津軽郡中里町大字深郷田の自宅に帰り同年同月十五日以降自宅から同町にある洋裁学院に通学しているものである。
(六) 成田静子は昭和二十六年三月十一日西津軽郡木造町字田町田附誠一と婚姻をなし、爾来同人方に居住しており、五所川原町公民館には婚家から通勤していた者である。
(七) 斎藤啓子は同年四月六日北津軽郡小阿彌村成田清三郎と婚姻し爾後婚家に居住していた者である。病気治療の為五所川原町の生家に一時帰つたことはあるが、住所を五所川原町に移した事実はない。
(八) 松本秀夫は昭和二十五年十月二十日原告等主張の小野善兵衛方に借子として一年分の給料を受取つた上年期奉公に赴き北津軽郡松島村一野坪にある同人方に居住していた者であつて、同人は同村選挙人名簿に登録せられ、昭和二十六年四月二十三日同村において選挙権を行使しているものである。
(九) 須藤けいは原告等主張の日時その主張の永田某と婚姻し爾来青森市大字大野字北金沢の同人方に同人と同居していたが、昭和二十六年三月十二日右婚家から西津軽郡柏村大字桑野木田所在の姉の許に赴き更に五所川原町の実家に帰つて父母並びに親戚と協議の末離婚を決意し、同年三月十七日夫永田と離婚の協議整い同年四月上旬戸籍上の手続を為したものであるから、同人は公職選挙法第九条第二項規定の要件を具備せぬ者である。
(一〇) 小寺喜美恵は昭和二十六年四月三日雇主五所川原町敦賀平蔵方を辞し結婚見合のためと称し南津軽郡碇ケ関村小寺忠之助(叔父)方に転住した者である。
(一一) 西村チナは西村幸治の妻で五所川原町字新町に居住していたが昭和二十五年十二月家財道具を携えて北津軽郡喜良市村大字小田川阿部佐之助方に夫その他家族全部と共に転住し、右幸治は転住後右の喜良市村から五所川原町所在津軽鉄道株式会社に通勤していたのである。昭和二十六年八月住宅を新築することとなつたものであつて該住宅は同年十月下旬に完成したのである。同人の本件選挙当時の住所は喜良市村にあつて五所川原町にはなかつたというべきである。
(一二) 成田積、同りつは五所川原町字柏原五十番地に居住していたが昭和二十五年十月三日同所から西津軽郡柏村大字今市字網代葛西寅五郎方に家族をひきつれ家財道具を携えて転住、同所で自家用自動車を運転して貨物運送の業務を行つていたものである。本件選挙当時同人等の住所は五所川原町にはなかつた。
(一三) 宮本義平は昭和二十六年三月十六日五所川原町から家財道具を携えて弘前市大字西茂森町長勝寺に転居し物資配給に関する転入手続を了して同所から同市土手町平泉商会に見習として通勤し同年五月から職工となり農機具等の製造に従事していた者である。
(一四) 野呂美津江は昭和二十五年九月八日青森市大字古川千刈飲食店「錦」こと工藤初太郎方に女中として住込み以後昭和二十六年十月頃北海道方面に転居するまで引続き右工藤方において働いていた者である。
そして現行選挙法の規定からすれば原告等の当選が有効となるのも止むを得ないと述べた(証拠省略)。
三、理 由
昭和二十六年四月二十三日青森県北津軽郡五所川原町議会議員選挙が執行せられ該選挙において立候補した原告等が当選者と決定せられたこと、右選挙会において有効投票とせられた票数、原告等の各得票数、首位落選者の氏名、その得票数はいずれも原告等主張のとおりであること、原告等主張の如く訴外人がその主張の日時その主張の異議の申立を為し右異議に対し棄却の決定があり、これに対し右異議申立人等は原告等主張の日時、被告に対し訴願を提起したところ、被告は原告等主張の日時、理由によつて右決定を取消し原告等四名の当選を無効とする旨の裁決を為し即日該裁決書が告示せられたこと、原告等主張の二十五名が本件選挙に際し投票したことは当事者間に争がない。そこで右二十五名が選挙権を有していたかどうかについて按ずるに凡そ住所が何処にあるかを定めるには単に当該人の主観的立場によつて決すべきものではなく、客観的な生活の実態に重点をおいて決定すべきものである。
(一) 田中トモについて。
同人が昭和二十六年七月三十日本籍地五所川原町から北津軽郡松島村葛西義衛と婚姻の届出を為したことは成立に争のない甲第一号証によつて明かであるが、東北地方においては婚姻の届出は事実婚成立後相当期間を経てなされる例は尠くないことは当裁判所において顕著な事実であるから、右事実だけでは本件選挙当日未だ事実上の婚姻もしていなかつたと断定し難く、却て右婚姻届出書の婚姻の年月日欄に昭和二十五年三月二日と記載されていることは原告等の争わないところであつて、この事実と前記の当裁判所に顕著な事実とを総合すれば、田中トモは昭和二十五年三月二日前記葛西義衛と事実上の婚姻を為し爾来同人方に居住していた事実を窺知するに難くない。原告等の立証によつては右認定を左右することができない。
(二) 千葉留次郎について。
証人千葉留次郎の証言によると、同人は昭和二十六年二月二十三日北津軽郡中川村大字長橋千葉金蔵の娘キヌと事実上の婚姻を為し、タンス、長持、布団等を携えて同人方に赴き爾来同人方に居住し、同人方を中心として生活を営んでいることが認められる。甲第二号証、甲第十号証は右認定の妨とならない。
(三) 小野正雄、同洋子、坂本義一、同とみ子、成田治右衛門、同みよ、島谷清八郎、同ミツについて。
右八名が本件選挙当日居住していた地域が一般に五所川原町字中平井町と称せられているが、実質的には北津軽郡中川村の行政区域内であることは原告等の認めるところである。然らば本件選挙当時同人等が五所川原町に納税していた事実、同町営の水道による給水を受けていた事実、子女を五所川原小学校に通学させていた事実があつたとしても、かかる事実によつて同人等が五所川原町において選挙権を有し得る理由がない。
(四) 小山内善之助、同みね、同善太郎について。
成立に争のない乙第五号証乙第六号証の一、三、四、並びに証人小山内善之助、同みね、同新岡彌蔵、同永井末吉の各証言を総合すると、小山内善之助は青森県農村工業利用農業協同組合連合会五所川原工場に雇われ本件選挙当時西津軽郡柏村の区域内に存する同連合会工場の留守番を命ぜられ家財道具をまとめ妻みね及び子善太郎と共に同工場内に居住していたことが認められるので右親子三人の本件選挙当時の住所は右柏村にあつて、五所川原町にはなかつたものというべきである。
(五) 宮本ユキについて。
成立の争のない乙第八号証の一、二、三、五、と証人宮本ユキの証言によると、同人は従来五所川原町所在の西北病院に看護婦として勤め同病院内の寄宿舎に起居していたが、昭和二十六年四月十日辞職願を出し使用者の許諾を得て同月十三日持物全部を携えて右寄宿舎を去り即日北津軽郡中里町大字深郷田の生家に帰り爾来同所に居住し、その後右病院に赴いたこともない事実が認められるので、本件選挙当日同人の住所は五所川原町にはなかつたと認めるのが相当である。同人に対する退職の辞令が同年四月十日附で本件選挙施行後に同人の手に渡されたことは同証人の証言で認め得るけれども、この事実によつては前段認定を左右するに足らない。成立に争のない乙第七号証中右認定に抵触する部分は前記採用の各証拠に比照し措信し難いところである。
(六) 成田静子について。
成立に争のない乙第九号証の一、二、証人成田静子、同田附誠一の証言を総合すると、成田静子は昭和二十六年三月十一日西津軽郡木造町田附誠一と事実上の婚姻を為し同人と同居するに至つたものであるが、右静子は従来五所川原町公民館に勤務していた者で婚姻後も当分勤続することになつたけれども、冬期のため五所川原町の実家に寝泊し同所から通勤することもあつたというに過ぎないもので、右静子の住所は既に木造町に移転し五所川原町にはなかつたと認めるのが相当である。
(七) 斎藤啓子について。
成立の争のない乙第一〇号証の一、二、証人斎藤啓子、斎藤四郎の証言によると、斎藤啓子は昭和二十六年四月六日北津軽郡小阿彌村大字狐森成田正明と事実上の婚姻を為して同人方に赴き爾来夫の許にいたが、同年四月十八、九日頃身の振り方を相談する為一時実家たる五所川原町に帰つていた間に本件選挙の投票をしたもので、その後夫に迎えられてその許に帰り爾来同人方に居住している事実を認定することができる。甲第七号証、第十号証は右認定の妨とはならない。
(八) 松本秀夫について。
成立に争のない乙第十一号証、乙第十二号証の一乃至六、証人松本秀夫の証言によると、同人は独身者で昭和二十五年十一月頃から北津軽郡松島村一野坪、小野善兵衛方に住込みその雇人として手当を支給され農業労働に従事しているものであることが認められる。
(九) 須藤けいについて。
成立に争のない乙第十三号証の一乃至四、証人須藤けいの証言によると、同人は昭和二十五年十月十三日青森市北金沢永田忠夫と婚姻したが、同二十六年三月離婚して五所川原町の実家に復帰した事実が認められるけれども、本件選挙当時選挙権を有するにつき必要な要件である三ケ月の期間に充たないことは算数上明白であるから、同人は本件選挙につき選挙権を有しないものというべきである。
(一〇) 小寺喜美恵について。
成立に争のない乙第十四、十五号証の一、二、証人小寺喜美恵、敦賀平蔵の証言を総合すると、小寺喜美恵は昭和二十四年頃から五所川原町理髪業敦賀平蔵方に住込み理髪職人として稼働していたが、昭和二十六年四月三日頃所持品全部を携えて同人方を出て南津軽郡碇ケ関村に居住していた叔父小寺忠之助方に転居し、同年四月五日右忠之助方に転入の手続を了し、爾後敦賀平蔵方には本件選挙当時立寄つたことがあるというに過ぎない事実を認めることができる。
(一一) 西村チナについて。
成立に争のない乙第十七号証の一、二、証人西村チナの証言を総合すると、同人は従来夫と共に五所川原町新町に借家住いしていたが、昭和二十五年九月頃家主から明渡を求められたので止むを得ず転宅することとし転居先を物色したが極度の住宅難からこれを見付けられなかつたので、同二十六年一月七日頃家財道具をまとめ夫及二人の子と共に一時右チナの生家たる北津軽郡喜良市村阿部佐之助方に引き移り雪解けをまつて五所川原町に住宅を新築する計画をたて、それまで同所に寄寓し、チナの夫は同所から五所川原町の勤先に通勤し同年九月頃新住家が完成したので五所川原町に転居した事実が認められるのであるが、右によると将来五所川原町に住家を建築して同所に居住する意思があつたというに過ぎず、客観的の生活は右喜良市村において営まれていたと認められるから、本件選挙当時の同人の住所は右喜良市村であるというべきである。
(一二) 成田積、同りつについて。
成立の争のない乙第十八号証、乙第十九号証の一、二、によると、成田積は自動車の運転を業とする者であるが、同人は昭和二十五年十月三日妻りつと共に五所川原町から西津軽郡川除村葛西寅五郎方に引き移り同二十六年四月二十九日青森市に転出するまで、右葛西寅五郎方を生活の本拠としていた者であることが認められ、甲第九号証は右認定の妨とならない。
(一三) 宮本義平について。
成立に争のない乙第二十号証の一、二、宮本義平、宮本禎三の各証言を総合すると、義平は独身者で五所川原町字旭町の兄禎三方に働いていたが、病気のため過激な労働に堪えられなくなつたので同所を辞し昭和二十六年三月十五日弘前市に引移りその頃主食その他の物資配給関係の転入手続をも了し爾後同所に居を定めている事実が認められる。
(一四) 野呂美津江について。
成立に争のない乙第二十一号証、第二十二号証によると、同人は昭和二十五年九月八日青森市大字古川字千刈飲食店工藤初太郎方に女中として住込み本件選挙当時も同所において引続き稼働していた事実が認められる。
以上のように本件選挙当時原告等の主張する二十五名はいずれも五所川原町において選挙権を有しないものであつたといわねばならない。従て本件選挙の投票中には二十五票の所謂潜在無効投票があつたものというべきである。
そこで、このような潜在無効投票があつた場合における原告等の有効投票について按ずるに、昭和二十七年八月法律第三〇七号により加えられた公職選挙法第二百九条の二はこのような帰属不明の無効投票があつた場合における同法第九十五条(当選人)の規定の適用に関する各候補者の有効投票の計算について「その開票区ごとに、各候補者の得票数から当該無効投票数を各候補者の得票数に応じて按分して得た数をそれぞれ差引くものとする」と規定し、同改正附則二項但書は右二百九条の二の規定を現に係属している訴訟についても適用することを規定しているのであるから、右第二百九条の二の規定に従い原告等及首位落選者の有効投票を計算すると、開票区は一個所であり又五所川原選挙管理委員会で認めた有効投票総数は六、三三二票、原告等の得票数は秋元久吉一五九票、千葉清隆一四九票、鶴谷正志一四七票、山川彌太一四三票、首位落選者和田新の得票数は一三八票であるから右得票数より秋元久吉〇、六二七票(小数点四位以下切捨以下同じ)、千葉清隆〇、五八八票、鶴谷正志〇、五八〇票、山川彌太〇、五六四票、和田新〇、五四四票をそれぞれ差引くこととなり、従て同人等の有効得票数は秋元久吉一五八、三七三票、千葉清隆一四八、四一二票、鶴谷正志一四六、四二〇票、山川彌太一四二、四三六票、和田新一三七、四五六票となることは計数上明らかであつて選挙の結果に影響を及ぼさないし、本件の当選のための法定得票数は六〇、八票であつて、原告等の得票数がこれに達しているので原告等の当選が無効であるということができない。
従て被告が原告等の当選を無効であると裁決したのは失当であるから原告等が被告のなした本件裁決の取消を求めるのは正当である。更に原告等を当選者であることの確認を求める点について按ずるに本件の如き所謂抗告訴訟においては裁判所は行政庁のなした違法な処分の全部又は一部を取消し得るに止まり、積極的にその処分に代るべき処分を為すことは、法律上特に規定せられている場合を除きこれを為し得ないものと解すべきである。従て原告等を当選者と確認することは行政庁のなすべき処分に代る処分を為すこととなるからこの点に関する原告等の請求は失当であるといわなければならない。
仍て原告等の被告が為した本件裁決の取消を求める限度において正当であるから之を認容しその余の請求は失当としてこれを棄却すべく訴訟費用につき民事訴訟法第八十九条第九十三条第九十二条により原告等及被告の各自負担(各自弁)とし主文のとおり判決する。
(裁判官 中兼謙吉 大島雷三 長谷川信)